かおるちゃん


私がミュージシャンを目指し上京した19歳の頃、
初めての親友が「かおるちゃん」である。
とあるボーカルスクールで出会い(私は1,2回でやめてしまうのだが)
彼女も歌をやっていた。


あの頃、まだデビュー前の私のバンドメンバーは
菊地成孔加藤英彦(←フライングキッズ)がいて、
渋谷のエッグマン(懐かしいっ)でライブをやっていたのであった。
かおるちゃんはコーラスをやってくれて、少しだけ年上だったので、
みんなのいいおねいさん役であった。


その後、彼女がシアトルに移住して結婚して、あっと言う間に20年近くがたってしまった。
その間、私がSPANK HAPPYも事務所も辞めて、なんだか精神的にボロボロだった頃(そんなんばっかなあの頃っ)半月ほど滞在しに行ったりしておった。


なんかかんか、しばらく関係が途絶えたこともあったが、
いつもどこかでお互いに、忘れない友人だったのであった。


私の結婚を機に、家人のシアトル在住の親友が協力してくれて、情報網の網をはり彼女を探知、また再会することができたのである
おそるべし現代社会。


彼女は現在、シアトルのある病院で働いているが 先日、こんな手紙をもらった。
とても善いお手紙だったので、記しておきたいと思いまふ。


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今日はひとつ、話をシェアしておきたくて書きました。
11月にうちの病院で、ある家族(Dad,mam,2歳の女の子)に出会い、
ちょっとずつ立ち話をするようになって顔見知りになりました。
彼らはアフリカ(スーダン人)で、現在はDadの学校の関係でアラスカに
住んでいて、でもこの2歳のラワンちゃんが肝臓移植をしなければならず、
ある時、シアトルのchildren's hospitalから電話が入り
「肝臓待ちリスト」にのっていた彼らにチャンスがやってきて
アラスカからシアトルに飛んで来てその手術が行われたわけです。


内臓提供者側の家族の同意により、これは無事に行われ
9月に病院へ入った時には少しずつバランスをとりながら歩いていました。


彼らはモスリム(イスラム)教で、提供者はアメリカ人。
ちょうど年齢と内臓のコンディションがマッチしたから この子の状態は救われたわけです。

お母さんの話によれば、提供者側のファミリーとはまだ会っていない、
とのことで、でもいつか、彼らが同意・・というか亡くなった2歳の子の
ことでの気持ちに整理がついたら・・・そしたら、絶対に会いたい とは言ってました。


みどり、
私が2011年にvisionした事はこれです。
異人種間の理解 あるいは、とにかくPEACE
攻めない、手を差し伸べる


その行動や、外側に見える姿のうしろにある文化、考え方、その出所、
どういう気持ちでいるのか?
どう感じるのか


このスーダンファミリーと話していて、彼女もそう言ってたけど
もし彼らの母国がいろいろ問題を抱えていなければ、私たちは、そこを出なかった。
だけど、こうやって違う国から来た人同志が知りあえるチャンスがそこここにある。
ーーーそれがアメリカに居て、好きなことだ。


TVやニュースで、今もアフガニスタンイラクでの状況を放映しているのを見ると
「本当に、なんで始めてしまったのか?」この戦争。


だけど草の根的にはこうやって、
身近にアメリカ人の小さな子供の臓器が、モスリム(イスラム)の小さな子供の命を救った。
〜そこに何のわけへだてのない愛が存在した、という事を本当に嬉しく思うし感動している。

このストーリーを(share)あなたと分かち合いたかったので書きました!


かおる


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私がアメリカをみる時、
どうしても「国家≒政治」や 、過去〜現在の戦争の歴史から見てしまい
どちらかというと、批判的でいまいちせまい心の持ち主になってしまう時がある。

しかし、実際に出会う、家人の友人のアメリカの皆さんや、
また、かおるちゃんの旦那さん(←ベトナム帰還兵) と話をした時も、
人と人が個人で向き合えば
いろんな事を乗り越えられるんだなあ、 と、いつも思うのであった。


みどり拝